憲法概論
憲法とは
憲法の意味
- 形式的意味・・・憲法と言う名前で呼ばれる成文の法典
- 実質的意味・・・ある特定に内容を持った法
- 固有の意味―国家の当地の基本を定めた法
- 立憲的意味―自由主義に基づいて定められた国家の基礎法
最も重要なのは、立憲的意味。
日本国憲法は、近代にいたって一定の政治的理念に基づいて制定された憲法で、
また、国家権力を制限して国民の権利・自由を守る事を目的とする憲法なのである。
憲法の特質
- 自由の基礎法・・・憲法は、人権について定めたものである。
- 制限規範・・・憲法は、国家権力を制限する基礎法である。
- 最高法規・・・憲法は、最高法規であって、国法秩序においてもっとも強い形式的効力を持つ。日本国憲法第九十八条の規定は、この趣旨を明らかにしたもの。
日本憲法史
日本には、明治以前に立憲主義的な成文法は存在しなかった。
明治憲法
明治憲法は、立憲主義憲法とはいうものの、神権主義的な君主制の色彩が強かった。
- 反民主的要素
- 主権が天皇に存するとしていた点。
- 天皇は、神の子孫として神格を有するとされていた点。
- 天皇が、立法・司法・行政のすべての権力を掌握し統括するものとしていた点。
- 民主的要素・・・権利・自由の保障。
ただし、権利・自由が認められると言っても、それは天皇が臣民に恩恵的に与えたものであって、法律の範囲内においてしかみとめられず法律によって制限できたもので、非常に不完全なものであった。
日本国憲法
日本国憲法は押し付けられたものか。
通説→強要の要素はあったものの自立性は損なわれていなかった。
- 国際法的観点から
- ポツダム宣言は、連合国と日本の双方を拘束する一種の休戦条約の性格を有するもの。
- この休戦条約は、明治憲法の改正の要求を含むもの。
- 連合国側には、日本側の憲法改正案がポツダム宣言に合致しないと判断した場合には、それを遵守するよう日本に求める権利をもっていた。
- 国内法的観点から
- 日本国憲法の自立性は、ポツダム宣言受諾によって条件付のものであった。
- ポツダム宣言の定めは、近代憲法の一般原理であって、この原理に基づいて憲法を制定する事は国家の近代化にとって必要不可欠であった。
- 日本政府には、ポツダム宣言の意義を理解する事ができず、自分の手で近代憲法を作る事ができなかった。
- 当時の世論調査等から判断すると、多くの国民が日本国憲法の価値体系に近い憲法意識をもっていた。
- 完全な普通選挙に選ばれた代表者によって、審議の自由の保障の中草案が審議可決された。
- 極東委員会は、施行後に改正の要否につき検討する機会を与えていたが、政府は改正の必要はないと言う態度をとった。
- 日本国憲法施行以来、憲法の基本原理が国民の間に定着してきている。
このことから、日本国憲法は日本人自身によって制定されたと言える。
国民主権って?
主権の意味
- 国家権力そのもの (国家の統治権)
ex.憲法第41条「国権」
- 最高独立性
ex.憲法全文「自国の主権を維持し」の「主権」
- 国政についての最高決定権
ex.憲法全文「ここに主権が国民に損する事を宣言し」の「主権」
憲法1条「主権の存する日本国民の総意」の「主権」
国民主権の意味・内容
- 主体
- 主権が、君主にあるのではなく国民にあるのだということ。
国民主権は君主主権との対抗関係の下で発展した概念である。
- 内容
- 権力性の契機
−国のあり方を最終的に決定する権力を国民自身が行使すると言う事。
- 正当性の契機
−国家の権力行使を正当付ける究極的な権威は国民に存すると言う事。
天皇って
憲法1条
「天皇は、日本国の象徴であり日本国統合の象徴である。」
- 象徴
- 抽象的・無形的・日感覚的なものを具体的・有形的・感覚的なものによって具象化する作用ないしはその媒介物
象徴天皇の意味
そもそも君主は、主権者であり、かつ、象徴であるが、象徴天皇は、主権者としての立場を否定され象徴としての立場のみが残った。つまり、天皇は、日本国の象徴たる役割以外の役割を持たないのである。
天皇の権能
- 権能の範囲
憲法4条「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ない、国政に関する権能を有しない。」
- 国事行為
- 政治に関係のない形式的・儀礼的行為。
- 具体例
- 6条…内閣総理大臣の任命。最高裁判所長官の任命。
- 7条…国会を召集する。衆議院を解散する。など。
- 権能行使の要件
憲法3条
「天皇の国事に関する全ての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負う。」
→ポイント
- 天皇の国事行為には、内閣の助言と承認が必要
- 天皇は無答責
「助言と承認」と行為の実質的決定権
- 天皇の国事行為
- それ自体が、形式的・儀礼的
- 行為の実質的決定を他の国家機関が行なう事で形式的・儀礼的になるもの
→国会の召集、衆議院の解散は、それ自体政治性の強い行為であるが、憲法上実質的決定権の所在が不明確。
もっとも問題となる解散権について…
- 69条内閣説
- 制度的内閣説
- 7条内閣説
がある。
- 1、69条内閣説
- 「助言と承認」は実質的決定権を含まない。
- 憲法69条を根拠に、衆議院の不信任案が可決された場合にのみ、内閣が衆議院を解散する事ができる。
←不信任決議が成立する可能性は稀で解散権の行使が非常に限定的になるのでは?
- 2、制度的内閣説
- 「助言と承認」は実質的決定権を含まない。
- 権力分立制・議院内閣制を採用する憲法全体の構造を根拠に、
不信任決議と関わりなく内閣の自由な解散権を認める。
←権力分立制・議院内閣制が一義的でないので根拠となりえないのでは?
- 3、7条内閣説 (通説)
- 「助言と承認」は実質的決定権を含む。
- 憲法7条3号「衆議院の解散」等国事行為に対する内閣の「助言と承認」を根拠に、内閣の自由な解散決定権を認める。
←7条の言う「助言と承認」は内閣による実質的決定を含む場合と含まない場合があることになっておかしいのでは?
皇室経費
憲法88条
「全て皇室財産は、国に属する。全ての皇室の費用は、予算に計上して国会の議決をへなければならない。」
内廷費・宮廷費・皇族費がある。
平和主義
平和主義憲法採用の経緯
平和主義原理が日本国憲法に採用された背景には、
- 大西洋憲章 (侵略国の非軍事化の原則)
- ポツダム宣言 (戦争遂行能力の破砕、軍隊の武装解除)
- マッカーサーノート (戦争放棄、軍隊不保持、交戦権否認)
などの、アメリカを中心とする連合国側の動きがある。
しかし、日本国憲法制定当時の幣原首相の平和主義思想はマッカーサー
ノートのきっかけの一つとなったとも言われ、日本側の意向も繁栄されて
いると見る事ができる。
平和主義の意図
日本国憲法は、日本の安全保障について、全文で「平和を愛する諸国民の構成と信義に信頼して、我らの安全を保持しようと決意した」と述べ、国際的に中立の立場からの平和外交、および国際連合による安全保障を考えていると解される。
このような構想に対してしばしば、自国の安全を他国に守ってもらうという消極的な考えだと言う批判がなされるが、これは、平和構想を提示したり、国際的な紛争・対立の緩和に向けて提言を行なったりして、平和を実現するために積極的行動をとることによって日本国民の平和と安全保障があるという積極的なものなのである。
憲法9条
- 「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」
- 「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」
戦争放棄
九条一項は
- 「国権の発動たる戦争」
- 「武力による威嚇」
- 「武力の行使」
を放棄している。
- 国権の発動たる戦争
=戦争・・・宣戦布告又は最後通牒によって戦意が表明され戦時国際法規の適用を受けるもの
- 武力の行使・・・宣戦布告なしで行なわれる事実上の戦争。実質的戦争
- 武力による威嚇・・・武力を背景にして自国の主張を相手に強要する事
→国際法上の戦争も事実上の戦争も放棄し、あわせて戦争の誘因となる武力による威嚇
も禁止したのである。
九条一項の意味
上記の戦争放棄には、「国際紛争を解決する手段としては」という留保が付いている。
従来の国際法上の通常の用語例によると、「国際紛争を解決する手段としての戦争」とは、「国家の政策としての戦争」、すなわち、侵略戦争を意味している。
- A説
- 国際法上の用例を尊重し、九条一項で放棄されているのは、侵略戦争であり、自衛戦争は放棄されていないとする。
- B説
- 従来の国際法にとらわれず、戦争は全て国際紛争を解決する手段としてなされるから、一項は自衛戦争も含めて全ての戦争が放棄されているとする。
九条二項の意味
A説、B説のどちらでも結論は自衛のための戦争はできないと言う事であって、結局はどの説でも全ての戦争が禁止されている事になる。
戦力の不保持とは
自衛権の意味
- 自衛権…
- 外国からの急迫又は現実の違法な侵害に対して、自国を防衛するために必要な一定の実力を行使する権利
自衛権行使の三要件
- 防衛行動以外に手段がなく、そのような防衛行動をとる事がやむを得ないと言う必要性の要件
- 外国から加えられた侵害が急迫不正であるという違法性の要件
- 自衛権の発動としてとられた措置が加えられた侵害を排除するのに必要な限度のもので、釣合いが取れていなけらばならないという均衡性の要件
この意味での自衛権は、独立国家であれば当然に有する権利であって、国連憲章五十一条において、個別的自衛権として認められている。
日本国憲法でも、このような自衛権までは放棄していない。
戦力の意味
- A説→戦争に役立つ可能性のある一切の潜在的能力。
- 通説→軍隊および有事の際にそれに転化しうる程度の実力部隊。
- 政府説→近代戦争遂行に役立つ程度の装備・編成を備えたもの。
→だが、自衛のための必要最小限どの実力は「戦力」にあたらない。
政府説の問題点 → 自衛力・自衛権の限界
- 自衛力の限界は具体的にはどこにあるのか
- 自衛権がどこまで及ぶか。
- 自衛隊の海外出動の問題。
- 1 → 兵器の目的や性能によって、攻撃的兵器と防衛的兵器を区別する事は非常に難しくなっている。
- 2 → 相手国の基地を攻撃する事は自衛権の範囲か。
- 3 → 自衛隊は国連軍に参加できるのか。
基本的人権
憲法11条
国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる。
人権の観念
- 1、固有性
- 人権が憲法や天皇から恩恵として与えられたものではなく、人間であることにより当然に有するとされる権利である事。
人権の固有性から、憲法に列挙されていなくても、憲法13条を根拠として新しい人権が認められることがある。
- 2、不可侵性
- 原則として人権が、公権力によって侵されない事。
これは、人権が絶対無制限である事を意味するものではなく、一定の限界を有する。それは人権が社会的なものであるからであって、その限界がどこにあるかは、人権と「公共の福祉」の問題として議論されている。
- 3、普遍性
- 人権が、人種、性、身分などの区別に関係なく、人間であることに基づいて当然に享有できる権利である事。
天皇や外国人の人権などの特別な問題もある。
人権の享有主体
人権は、人種、性、身分などの区別に関係なく、人間である以上当然享有できる普遍的な権利である。しかし、日本国憲法は、第三章に「国民の権利および義務」という表題をつけて、文言上、人権の主体を一般国民に限定するかのような外観を取っている。そこで、一般国民のほかにいかなるものが人権を享有するかが問題となる。
- 天皇・皇族
- 法人
- 外国人
- 1、天皇・皇族
- 天皇・皇族も、日本の国籍を有する日本国民であり、人間であることに基づいて認められる権利は保障される。ただ、皇位の世襲と職務の特殊性から必要最小限どの特例が認められる。
- 国政に関する権能を有しない天皇には、選挙権・被選挙権等の参政権は認められない。
- 婚姻の自由、財産権、言論の自由などに対する一定の制約も、天皇の地位の世襲制と職務の特殊性からして、合理的。
- 2、法人
- 人権は、個人の権利であるから、その主体は、本来人間でなければならない。しかし、経済社会の発展に伴い、法人その他の団体の活動の重要性が増大し、法人もまた人権享有の主体であると解されるようになった。
(←法人は社会的に実在 : 法人実在説)
日本国においても、人権規定が、性質上可能な限り法人にも適用される事は、通説・判例の認めるところである。
では、どのような人権が法人に適用されるのであろうか。
自然人を対象とするような人権、たとえば、選挙権、生存権、ある種の人身の自由などは法人には保障されない。その他の人権は原則として保障される。また、プライバシー権や環境権も適用されると解されている。
精神的自由権に関しては、内面的精神活動以外は認められる。憲法21条集会結社の自由が代表的である。
法人に人権が及ぶ事は争いがないが、どの程度保障されるかに関しては、議論がある。特に、経済的自由権については、法人の社会的な権力大きさから、自然人よりも広汎的な積極的規制を加えうるものと解されている。同様に政治的自由においても、法人の権力が一般国民の政治的自由を不当に制限する可能性もあり、自然人とことおなる特別の規制に服すると解すべき場合が多い。また、法人内部の構成員の政治的自由と矛盾・衝突する事もあり、問題となる。
重要判例
法人まとめ
- 人権は、自然人固有のもの以外法人にも認められる。
- 法人の人権は、自然人よりも規制の範囲が広い。
3、外国人
外国人に日本国憲法の人権規定は及ぶか。
- 消極説…認めない。
- 準用説…消極説を前提として憲法や人権の性格から恩恵的に外国人に準用される。
- 積極説(判例・通説)…国民のみを対象とする権利以外すべてを認める。
⇒積極説がよい。この点にはもはや争いはない。
理由
- 人権は、前国家的・前憲法的なもの
- 日本国憲法98条は、国際法規の遵守を規定
- 国際人権規約などに見られる、人権の国際化。
では、どの規定が保障されるか。
- 文言説。
「何人も…」→認める。 「国民は…」 →認めない。
13条・30条・22条で破綻。
外国人は、個人として尊重されなくていいのか。
外国人は、納税の義務を負わないのか。
外国人の国籍離脱の自由を日本国憲法が定めてどうするんだ。
- 権利性質説。通説・判例
権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き、外国人にも保障する。 (→判例:マクリーン事件)
権利性質説に立ってどの人権が認められ、どの人権が認められないのか具体的に検討していく。尚、同じ外国人と言っても、日本との関係の深さから扱いが異なる事があることには注意が必要である。
・外国人の類型
- 定住外国人…日本人とほぼ同等でも良いと考えられる
- 難民 …定住外国人に準じても良い
- 一般外国人
外国人には保障されないとされてきた人権
- 参政権
- 社会権
- 入国の自由
- 参政権
参政権は、国民が自己の属する国の政治に参加する権利であって、その性質上国民にのみ認められるものである。したがって、狭義の参政権(選挙権、被選挙権)は外国人には及ばない。
現在の問題となっているのが、広義の参政権と考えられてきた公務就任権、および、地方自治体レベルにおける選挙権である。
1、公務就任権に関する問題
従来の政府公定解釈…
「公権力の行使又は国家意思の形成への参画に携わる公務員」は、日本国民に限る。
←あまりにも包括的で漠然としている。
直接国の政策に影響を及ぼすことの少ない職務は、門戸を開くべきでは?
→一定の職種で公務就任要件における国籍条項の撤廃増加。
2、地方自治体レベルにおける選挙権
憲法93条は、地方公共団体の「住民」と規定しているから、定住外国人にも認められるのではないかという主張が支配的となった。
→判例は、定住外国人に法律で選挙権を付与する事は憲法上禁止されていないと言うにとどまった。(最判平七・二・二八)
- 社会権
社会権は、各人の所属する国によって保障されるべき権利ではあるが、法律において外国人に社会権の保障を及ぼす事は、憲法上何ら問題はない。むしろ、在日朝鮮人などの定住外国人に関しては、日本国民と同等の扱いをすることが憲法の趣旨に適合する。
国際人権規約の批准、「難民の地位に関する条約」の批准のために、1981年社会保障関係の法令の国籍条項は原則として撤廃された。
- 入国の自由
入国の自由が外国人に保障されないことは、国際法上当然である。国際法上、国家が自己の安全と福祉に危害を及ぼす恐れのある外国人の入国を拒否することは、当該国家の主権的権利に属し、入国の拒否は当該国家の自由裁量によるとされている。
入国の自由が保障されない以上、在留の権利も憲法上保障されているとはいえない。
(判例→マクリーン事件)
また、再入国の自由が認められるかどうかも問題となる。
最高裁は外国人の出国の自由を認めており、当然出国は帰国を前提とするので、再入国もまた外国人に保障されるということになりそうであるが、最高裁は再入国の自由は保障されないとしている。(→森川キャサリーン事件)
なお、法改正により特別永住者の再入国は認めれるようになった。
保障される人権の限界
その他の自由権、平等権、受益権は、外国人にも保証されるが、その保証の程度・限界は日本国民と同じと言うわけではない。
特に問題となるのが、参政権に近い機能を持つ政治活動の自由である。
(→マクリーン事件)
外国人には、選挙権など参政権の一部が否定されているので、日本国民より大きな制約を受けると解することができる。
基本的人権の限界
公共の福祉って
憲法は、基本的人権を「侵すことのできない永久の権利」として、絶対的に保障する旨を宣言している。しかし、人権を無制限に認めてしまうと、他人の人権と対立したりして収拾がつかなくなってしまう。そこで、他人の人権と調整をする必要性がでてくる。
そこで、憲法は、個別的に制限規定を設けないで「公共の福祉」による制約が一般に存在することを宣言した。憲法12条、憲法13条がそれである。
- 憲法12条
- 「この憲法が国民に保障する自由および権利は、・・・・・・、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う。」
- 憲法13条
- 「生命、自由および幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、・・・、最大の尊重を必要とする。」
また、経済的自由については、特に「公共の福祉」による制限があることが規定されている(22条、29条)
そこで、「公共の福祉」の意味について問題となる。
- 一元的外在制約説
- 内在・外在二限的制約説
- 一元的内在制約説
- 比較衡量説
- 一元的外在制約説
基本的人権はすべて「公共の福祉」によって制約される。
憲法12条・13条の「公共の福祉」は、人権の外にあって、それを制約することのできる一般的な原理である。
22条・29条の「公共の福祉」は特に意味をもたない。
←法律による人権制限通いに肯定されるおそれ
明治憲法の「法律の留保」つきの人権保障とかわらないのではないか。
- 内在・外在二元的制約説
「公共の福祉」による制約が認められる人権は、経済的自由権(22条・29条)と社会権(25条〜28条)に限られる。
12条・13条は、訓示的ないし倫理的な規定。
経済的自由権や社会権以外の自由権は、権利が社会的なものであることに内在する制約に服するにとどまる
←自由権と社会権の区別がはっきりしないのに、完全に区別するのは不適当
13条を訓示的倫理的な規定と解すると、13条を新しい人権を基礎付ける包括的な人権条項と
解釈できなくなるのではないか。
- 一元的内在制約説
公共の福祉とは、人権相互の矛盾・衝突を調整するための実質的公平の原理であって、すべての人権に論理必然的に内在している。
自由権を公平に保障するための制約の根拠としては、必要最小限度、
社会権を実質的に保障するための自由権の制約としては、必要な限度の規制を認める。
←「必要最小限度」、「必要な限度」という抽象的な原則では、実質的に外在的制約説と
大差のない結果になるおそれ。
- 比較衡量説
それを制限することによってもたらされる利益とそれを制限しない場合に維持される利益とを比較して、前者の価値が高いと判断される場合には、それによって人権を制限することができる。と主張する説。
この説は、他の説と違い、公共の福祉という抽象的な原理によって人権の制限の合憲性を判断するのではなく、個々の事件における具体的状況を踏まえて対立する利益を衡量しながら、妥当な結論を導き出そうとする。
しかし、判断基準が必ずしも明らかでないため、国家権力と個人の人権との利益衡量の場合には、国家権力が優先してしまう危険性が高い。したがって、この基準は、同程度に重要な二つの人権調整のために、裁判所が仲裁者として働くような場合に限って用いられるべきである。
特別な法律関係における人権の限界
公権力と特殊な関係にある者(公務員、在監者、国公立大学学生)については、特別な人権制限が許されると考えられてきた。
それを正当化するために、かつて用いられた理論が特別権力関係理論である。
1、特別権力関係理論
- 公権力は、包括的な支配権を有し、個々の場合に法律の根拠無くして特別権力関係に属する私人を包括的に支配できる。(法治主義の排除)
- 公権力は、特別権力関係に属する私人に対して、一般国民として有する人権を、法律の根拠無くして制限することができること。(人権の制限)
- 特別権力関係内部における公権力の行為は原則として司法審査に服さないこと。(司法審査の排除)
→「法の支配」を謳い、基本的人権の尊重を基本原理とする日本国憲法において認められるはずがない。
今日ではそもそもこのような理論は適当でないとの批判が有力である。
なぜなら、「公権力に服従している」という共通点があるだけで、それぞれの法律関係にある構成員の権利の制限の根拠・目的・程度はまったく異なるからである。
2、公務員の人権
公務員の人権については、公務員・国営企業職員の労働基本権と国家公務員の政治活動の自由の制限の制限が特に問題となる。
制限の根拠は、「公共の福祉」や「全体の奉仕者」といった特別権力関係理論の考えを受けた抽象的観念が用いられた。しかし、現在は、憲法が公務員関係と言う特別の法律関係とその自立性を憲法的秩序の構成要素として認めていること(15条、73条4号)に求められている。
・公務員の労働基本権
公務員と言っても、職務の性質は多様であるから、その労働基本権の制限は、職務の性質を考慮し、必要最小限度の範囲にとどめなければならない。判例は、「国民生活全体の利益の保障という見地からの内在的制約」のみがゆるされるとの厳格な条件を示した全逓東京中郵事件が注目を集めたが、その後の全農林警職法事件において、判例を変更し、公務員の人権の一律かつ全面的な制限を合憲とした。その後、この判例を踏襲する判決が続いている。学説は一連の判例に批判的な立場が有力である。
(参照判例:政令201号事件、全逓東京中郵事件、都教組事件、全農林警職法事件、岩手県教組学力テスト事件、全逓名古屋中郵事件)
・公務員の政治活動の自由
政党政治の元では、行政の中立性が保たれて始めて公務員関係の自立性が確保され、行政の継続性・安定性が維持されるので、一定の政治活動を制限することが許される。公務員といっても市民であるから、その制限は行政の中立性を担保する最小限度にとどまらなければならないと解するべきである。しかし、現行法は、すべての公務員の政治活動を一律全面に禁止している。判例は猿払事件で全農林警職法事件の立場にたった判断を示している。
3、在監者の人権
在監者の人権制限を正当化する根拠は、憲法が在監関係とその自立性を憲法的秩序の構成要素として認めていることに由来する(18,31条)。したがって、そのせいげんは、拘禁と戒護(逃亡・罪障隠滅・暴行・殺傷の防止、紀律維持など)および受刑者の矯正教化という在監目的を達成するために必要最小限度にとどまるものでなければならない。
未決拘禁者の新聞閲読の自由に関して、判例(最判58・6・22民集37巻5号793頁)は、新聞閲読を許すことにより監獄内の紀律および秩序の維持上放置することのできない程度の障害が生ずる相当の蓋然性があると認められることが必要であり、かつ、その場合においても、右制限の程度は、障害発生の防止のために必要かつ合理的な範囲にとどまるべきものと解するのが相当」と判示した。
人権の私人間効力
1、社会的権力
そもそも憲法の基本的人権の規定は、公権力との関係で国民の権利・自由を保護するものであると考えられてきた。しかし、資本主義社会の発展に伴い、企業、各種団体等の巨大な(社会的な)力を持った私的団体が生まれ、一般国民の人権が脅かされるという事態が生じた。
( 就職差別(14条・法の下の平等)、マスメディアによるプライバシー侵害(13条・幸福追求権)など、あげればきりがない
そこで、このような社会的権力による人権侵害からも、国民の人権を保護する必要があるのではないかが問題となった。
2、人権の私人間効力
・間接適用説(通説・判例)
・直接適用説
- 直接適用説
この説は、ある種の人権規定(自由権ないし平等権、制度的保障)が私人間にも直接効力を有するとする。しかし、この説において、私人相互の関係の持つ性質の違いに応じて相対化されることを認めれば、実際上間接適用説とほとんど変わらないことになる。
- ← [ 批判 ]
- 人権規定の直接適用を認めると、市民社会の一般原則である私的自治の原則が広く害されるおそれがある。
- 基本的人権の本質的意味は、依然として国家から権利・自由を擁護することにある。
- 自由権と社会権が相対化した現在では、直接適用を認めることによって、かえって自由権が侵害される恐れが生じる。
- 間接適用説
この説は、人権規定の趣旨・目的ないし法文から直接的な私法的効力を持つ人権規定を除き、その他の人権(自由権ないし平等権)については、法律の概括的条項、とくに、民法90条のような私法の一般条項を、憲法の趣旨を取り込んで解釈・適用することによって、間接的に私人間の行為を規律しようとする。
((私人による人権侵害)) ← 私法一般条項 ← 憲法
判例:三菱樹脂事件、日産自動車事件、昭和女子大事件
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