法律学研究支援室


外国人の人権享有主体性
 外国人とは、日本国に在住している日本国籍を有していない者の事を言う。では、国民の権利として規定されている、憲法第3章は、外国人にも保障されるのであろうか。
 この問題に対し、学説には、消極説、準用説、積極説がある。そもそも人権は、前国家的なものであって、人が人であるだけで持っているものであるから、外国人であることを理由にあらゆる人権の享有を認めない消極説や、消極説を前提とした準用説は、とるべきではないと言うべきである。したがって、積極説が妥当であると考えられる。
 積極説では、人権は前国家的なものであること、憲法98条が国際協調主義をうたっていることなどから、その性質上国民のみを対象とする権利以外、全ての人権を外国人に保障しようとする。それでは、どの権利が認められるのであろうか。
 学説には、文言説と権利性質説がある。文言説は、「何人も・・・」とかかれた条文は、外国人にも認め、「国民は・・・」とかかれた条文は、外国人には認めないという説であるが、憲法13条、22条、30条において、問題が発生する。したがって、妥当ではなく、権利性質説が妥当と考える。
 判例も、マクリーン事件において、「憲法第3章の諸規定による基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き、わが国に在留する外国人に対しても等しく及ぶものと解すべきである。」と判示し、権利性質説に立っている。
 ただし、人権が保障されるといっても、その保障の程度・限界は、日本国民と全く同じというわけではない。特に問題となるのは、精神的自由権、政治的活動の自由であって、限定保障説と無限定保障説の対立がある。判例は、マクリーン事件において、「わが国の政治的意思決定またはその実施に影響を及ぼす活動などの政治活動の自由は認められない」として、限定保障説の立場に立っている。しかし、外国人の政治活動は、国民の主観的な意思決定に影響を与えるに過ぎないから、外国人の政治的活動を規制する必要はなく、全面的に政治的活動の自由を認めてもよいというべきであって、無限定保障説が妥当と考える。

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