法律学研究支援室

事件番号 平成16(受)2226
事件名 損害賠償請求事件
裁判年月日 平成18年11月14日
法廷名 最高裁判所第三小法廷
裁判種別 判決
結果 破棄差戻し
判例集巻・号・頁
原審裁判所名 東京高等裁判所??
原審事件番号 平成16(ネ)2589
原審裁判年月日 平成16年09月22日
判示事項
裁判要旨 ポリープ摘出手術を受けた患者が術後に出血性ショックにより死亡した場合につき,担当医が追加輸血等を行わなかったことに過失があるとはいえないとした原審の判断に採証法則に反する違法があるとされた事例
参照法条
全文

主文

原判決を破棄する。
本件を東京高等裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人森谷和馬の上告受理申立て理由について
1本件は,Y (以下「被上告法人」という。)の開設するA病院(以下「被2上告病院」という。)に入院して上行結腸ポリープの摘出手術を受けたBが術後9日目に急性胃潰瘍に起因する出血性ショックにより死亡したことについて,Bの相続人である上告人らが,被上告病院の医師であるY には,Bに対し十分な輸血と1輸液を行って全身の循環状態が悪化しないよう努めるなどしてBのショック状態による重篤化を防止する義務があったのに,これを怠った過失があるなどと主張して,被上告人らに対し不法行為に基づく損害賠償を求める事案である。
2原審の確定した事実関係の概要等は次のとおりである。
(1)当事者被上告法人は,千葉県市川市において被上告病院を開設している。
Y は,消化1器外科を専門とする医師であり,平成12年当時,被上告病院に勤務していた。
B(昭和19年2月1日生)は,被上告病院で上行結腸ポリープの摘出手術を受けたが,平成12年5月2日(以下,月日のみを示すときは,いずれも平成12年である。),術後急性胃潰瘍による出血性ショックにより,満56歳で死亡した。
X はBの妻,X はBの子である。
1 2Y は,Bの主治医を務めていた。
1(2)Bに対する診療経過アBは,平成12年2月,近隣の医院で受けた成人病の検診で大腸の精密検査が必要であると指摘され,3月4日に被上告病院を受診した。
4月4日,Bは,検査入院をして,Y による大腸の内視鏡検査を受けたとこ1ろ,上行結腸から横行結腸への移行部に,径1.5cm大のポリープが認められた。
Y は,内視鏡ではこのポリープの全貌が確認できず,また,このポリープが皺壁1上に存在し,穿孔や不完全切除などの危険性があったことから,内視鏡による切除を断念し,開腹による上行結腸部分切除術を検討することにした。
イBは,4月11日,Y から病理組織検査の結果を聞き,ポリープは手術に1よって切除した方がよいとの説明を受けて,これに同意し,4月13日に被上告病院に入院した。
ウ4月24日,C医師の執刀により,上行結腸部分切除術によるポリープの摘出手術が行われた。
手術は,午前11時30分にBが手術室に入室の後,全身麻酔の下で腹部を正中切開して行われ,午後3時過ぎに終了した。
術後から,抗生剤のパンスポリンが投与された。
エ4月25日,Bは,37.6度の発熱があった。
4月26日になると,Bの体温は39.0度まで上がり,下痢が2回見られた。
嘔気,吐血,心窩部痛,下血,ドレーン排液の汚染はなかった。
Y は,同日,ボ1ルタレン座薬50mgを3回投与した。
1 4月27日,Bの体温が最高で39.7度まで上がり,暗茶色の便が出た。
Yは,この日も解熱剤としてボルタレン座薬を3回投与した。
Y は,吻合部の縫合1不全の可能性もあると考えて腹部CT検査を実施したが,縫合不全による貯留像はなかった。
Y は,抗生剤のミノマイシンを追加投与し,抗生剤2剤で経過観察を1することとした。
オ4月28日朝,Bの体温は38.3度あった。
Y は,抗生剤のパンスポリ1ンをチエナムに変更し,グロブリン製剤も併せて使用した。
同日午後には,Bの体温が37度台となったが,暗赤色のうすい下痢による下血が出現した。
ドレーン排液の汚染はなかった。
この日は,2回,ボルタレン座薬が使用された。
カ4月29日,Bの体温は37度台であったが,午後2時ころ,収縮期血圧が94oHg,拡張期血圧が72oHg(以下,血圧については,例えば,94/72として収縮期血圧と拡張期血圧を/で区切る形式により,単位を省略して数値のみで示す。)と低下し,脈拍は103(毎分。
以下同じ。)となった。
その後,Bの血圧は,午後8時51分に89/54に低下し,午後11時30分にも96/64となり,午後11時38分には,血圧が90/50,脈拍が96となった。
ただし,Bの収縮期血圧は,上記のとおり100以下に低下しても,その都度100を超える数値に回復した。
この日は,粘血便が10回あり,そのうち午後4時30分以降はタール便(コールタールのような色をした便)となった。
この下血の状況から,出血量は1000〜1500mlと推定された。
Bのヘモグロビン値(「Hb値」ということもある。
単位はg/dlである。
一般的な正常値は13〜18g/dlであり,10g/dl以上が望ましいとされている。
単位については以下同じ。)は,朝が8.7,午後5時15分は7.5と低下した。
ヘマトクリット値(一定量の血液中に存在する赤血球の容積の割合。
単位は%。
30%以上が望ましいとされている。
単位については以下同じ。)は,それぞれ23.5,20.4であった。
腹部超音波検査では,腹腔内貯留液はなかった。
C医師は,BとX に対し,輸血が必要であると説明したが,Bはこれに同意し 1なかった。
そこで,Y からBに対し,本日出血したと考えられること,腹腔内に 1血液の貯留がないため,吻合部から腸管内へ出血し,今は止まっていると考えられること,血圧90,ヘモグロビン値6台なら輸血をする方がよいことなどの説明をし,Bはこれを了解した。
Bは,同日,輸血の必要性を「鉄剤では十分治療できない貧血」,輸血方法を「赤血球のみの輸血」,予想される輸血量を「200ml×4」とする輸血同意書をD医師あてに提出した。
Y は,同日,X や親族に対し,経過としては,吻合部の炎症から血管が破たん1 1し,貧血になったと考えられること,上部消化管からの出血も可能性ゼロではないこと,輸血などで保存的に治療し,経過がよくなければ再手術も考えられることなどを説明した。
この日,Bに対し,2200mlの輸液がされ,また,酸素投与も開始された。
キ4月30日,Bの体温は37度台であった。
血圧は,収縮期でほとんど100以上を維持していたが,午前0時20分には,血圧が100/65,脈拍が110であった。
午前2時の血圧は97/61であり,午前4時30分から午前5時までの間は脈拍が110台であった。
午後0時35分には,血圧が117/71,脈拍が130,午後0時50分には,血圧が121/61,脈拍が128,午後1時10分には,血圧が81/51,脈拍が131,午後1時30分には,血圧が101/65,脈拍が129であった。
ただし,Bの収縮期血圧は,上記のとおり100以下に低下しても,その都度100を超える数値に回復し,その後は,100以上を保っていた。
下血は17回あり,下血量は合計約1000gであった。
Bのヘモグロビン値は,朝が5.6,午後3時が5.2と低下し,ヘマトクリット値もそれぞれ14.8,13.9と低下した。
Y は,朝のヘモグロビン値が5.6であったため,午前8時50分から濃厚赤1血球400mlを輸血した(なお,赤血球濃厚液を「MAP」ということがある。)。
Y は,過度の輸血は心不全や肺不全を併発する可能性があると考え,B1の血圧が80を割るまでには至っていないことから,午後3時から濃厚赤血球400mlを輸血して,この日の輸血量を800mlにとどめた。
Y は,輸血によって,1ヘモグロビン値7以上,ヘマトクリット値20以上を目標としたが,これらの値に改善は見られなかった。
Bに対する同日の輸液量は,2200mlであった。
Y は,4月27日の便の培養検査の結果について,電話連絡により,グラム陽1性球菌が陽性という中間報告を受けた。
Bのショック指数(心拍数を収縮期血圧で除した指数。
正常範囲は,0.51〜0.57)は,4月29日午後2時ころ1.10になり,同日午後4時ころから同日午後8時30分ころまで0.78〜0.90に下がり,同日午後11時38分ころ1.07,4月30日午前0時20分ころ1.10になり,同日午前5時ころから午前11時20分ころまで0.75〜0.97に下がったものの,同日午後0時35分から午後4時までは1.06〜1.28まで上がった(同日午後1時から1時10分ころにかけて一時的に1.62になったり,逆に0.63に下がったりしたこともある。)。
同日午後4時40分以降は,0.63〜0.90まで下がった。
ク5月1日,Bの体温は37度台であった。
血圧は115/67以上を維持していたが,下血は14回あり,タール便や暗赤色便があった。
下血量は約1100gであった。
ヘモグロビン値は,朝が5.3,午後3時30分が5.6であり,ヘマトクリット値は,それぞれ14.6,15.2であった。
Y は,濃厚赤血球を午前10時から400ml,午後4時20分から400ml,1合計800mlを輸血した。
この日の輸液量は,2200mlであった。
Y は,午後9時,BとX に対し,下血が続くため,翌日のヘモグロビン濃度を1 1見て再手術を考える旨説明し,Bはこれを承諾した。
Y は,翌日の再手術の可能 1性や患者の急変も考えて,この日は病院に泊まることとした。
ケ5月2日,Bの体温は37度であったが,朝のヘモグロビン値は5.0,ヘマトクリット値は13.5であった。
そのため,Y は再手術を予定した。
Bに1は,午前6時に1475gの大量のタール便の下血があったが,「おはよう」との会話もあり,意識は清明であった。
午前7時15分のヘモグロビン値は5.0,心電図モニターは140台であったが,Bは,午前7時20分,心電図モニターが50台に低下して意識レベルも低下するなど症状が急変し,ショック状態となった。
Y は,濃厚赤血球の輸血を行うとともに,心マッサージを施したが,午前8時311分,Bの死亡が確認された。
コ同日,千葉大学病理学教室で解剖が施行された。
解剖の結果,結腸の手術部位には吻合不全や吻合部出血などの所見はなかった。
胃から直腸の内腔に血液の貯留が認められ,胃粘膜面には露出血管を伴う多発性の潰瘍が認められたので,これが出血源と考えられた。
前立腺には多発性膿瘍を形成した化膿性前立腺炎が認められ,これが発熱の原因と考えられた。
(3)本件に関する医学的知見ア大腸ポリープと内視鏡的粘膜切除術大腸を含めた消化管のポリープとは,種々の形態や組織像を呈する隆起性病変の総称である。
大腸では,良性上皮性腫瘍,すなわち腺腫が圧倒的に多い。
浸潤性ポリープ以外の大腸ポリープの多くは,内視鏡的切除で非侵襲的に治療できる。
内視鏡的治療の適応としては,内視鏡診断が腺腫又は粘膜内にとどまり粘膜下層に及んでいない癌で,一括切除可能な病変(大きさが20o前後のもの)が絶対的適応とされる。
しかし,屈曲部にあるため内視鏡的なアプローチが困難な病変などでは,最初から手術を考慮すべきであるとされている。
イ下血と胃・十二指腸出血下血の性状によって,出血部位と原因疾患をある程度推測できる。
黒色便は上部消化管から空腸上部まで,暗赤色便は回腸から右側結腸まで,鮮血は直腸から肛門までに出血源があることが多い。
また,胃,小腸,右側結腸からの出血では,腸管内の血漿成分の浸透圧効果によって水分量が増加するため,便量が増加し軟便となりやすいが,左側結腸からの出血ではその影響は少なくなり,直腸肛門からの出血では便の硬度は正常である。
上部消化管出血の場合,胃出血では主として吐血,十二指腸出血では下血を主訴とすることが多い。
単位時間当たりの出血量が極めて少ないときは下血となる。
出血性ショックが疑われれば,内視鏡検査の実施に先立って酸素投与と急速輸液を行い,ショックからの離脱を図りながら,内視鏡検査と輸血の準備を行う。
全身状態が安定したところで,出血源の部位と出血の質的診断が要求される。
内視鏡診断が第一次選択検査である。
悪性疾患からの出血が否定できれば,急性胃粘膜障害や消化性潰瘍からの出血が多い。
ウボルタレン座薬ボルタレン座薬は,手術後の鎮痛や消炎などに効能又は効果がある鎮痛・解熱・抗炎症剤であり,添付文書には次の記載がある。
(ア)禁忌(次の患者には投与しないこと)消化性潰瘍のある患者(消化性潰瘍を悪化させる。)(イ)慎重投与(次の患者には慎重に投与すること)消化性潰瘍の既往歴のある患者(消化性潰瘍を再発させることがある。)(ウ)重大な副作用(頻度不明)出血性ショック又は穿孔を伴う消化管潰瘍のような副作用が現れることがある。
このような場合には投与を中止し,適切な処置を行うこと(エ)その他の副作用(0.1%未満)消化性潰瘍,胃腸出血エ出血性ショックと輸血(ア)ショックとは,急性に起こった全身の循環不全である。
それにより組織への実効血流量が不足して全身性の重篤な低酸素状態が招来され,やがて組織や細胞がこれに耐えきれなくなって,ついにはすべての生理活動,すべての代謝過程が失調を来す症候群である。
放置すれば悪循環に陥り,やがては死に至る病態である。
(イ)プレショックは,循環血液量の15%(750ml)までの出血の場合であり,症状はないか,あっても精神的不安,立ちくらみ,めまい,皮膚冷感程度である。
脈拍は正常ないし110以下のやや促進であり,血圧は正常,ヘマトクリット値は42程度を示す。
尿量は正常又はやや減量となる。
軽症ショックは,循環血液量の15〜25%(1250ml)の出血の場合であり,冷汗,倦怠,蒼白,口渇,100〜120の頻脈,体位によりめまい,失神の症状が現れる。
血圧は90〜100/60〜70,ヘマトクリット値は38程度を示す。
尿量は減少傾向が見られる。
中等度ショックは,循環血液量の25〜35%(1750ml)の出血の場合であり,不穏,蒼白,口唇・爪褪色,120以上の著明な頻脈と弱脈の症状が現れる。
血圧は60〜90/40〜60,ヘマトクリット値は34程度を示す。
乏尿が見られる。
重症ショックは,循環血液量の35〜45%(2250ml)の出血の場合であり,意識混濁,極度の蒼白,チアノーゼ,末梢冷却,反射低下,虚脱状態,呼吸浅迫の症状が現れる。
脈拍は120以上で,触れにくい。
血圧は40〜60/20〜40,ヘマトクリット値は30以下を示し,無尿となる。
(ウ)ショック指数(ショック・インデックス)は,脈拍数を収縮期血圧で除した指標である。
正常値は0.51〜0.57である。
出血に伴って,脈拍数は増加し,血圧は低下するので,ショック指数が上昇する。
これが1になれば成人でほぼ1000mlの出血と推定でき,1.5で1500ml,2で2000mlの出血と推定できる。
成人のヘマトクリット値の正常値は45である。
ヘマトクリット値1の低下は100mlの出血と概算される。
出血量の指標として脈拍数,血圧,尿量などがあるが,実際の臨床の場では脈拍数が最も鋭敏な指標となる。
毎分120以上のときは,著明な循環血液量の減少が考えられる。
(エ)推定出血量1000mlまでは,とりあえず輸液のみで対処可能である。
輸血は,推定出血量が1000mlを超えたら開始し,ほぼ推定出血量と同量の輸血を施行する。
輸液の内容は,細胞外液補充液(等張複合電解質輸液剤)を第1選択とすべきで,その量は推定出血量の約2倍量を輸液する。
出血性ショックでは,目標ヘマトクリット値を30として,生理食塩水とともに輸血する。
尿量毎時1ml(1s当たり),脈拍数100以下,収縮期血圧100以上,中心静脈圧3〜10(pH O),ヘマトクリット値30〜35が輸液,輸血の2目安となる指標である。
3原審は,上記事実関係の下において,要旨次のとおり判断して,Y の注意1義務違反を否定するとともに,Y の行為とBの死亡との相当因果関係を否定し 1て,上告人らの請求を棄却すべきものとした。
(1)Y がBに対し,4月30日及び5月1日にそれぞれ800mlずつの濃厚赤1血球の輸血をしたにもかかわらず,同人のヘモグロビン値とヘマトクリット値は十分な回復に至っていないのであるが,前記確定事実とE(F病院外科教授)作成の鑑定意見書(乙B第17号証。
以下「E意見書」という。)を総合すると,上記の輸血によってこれらの値の更なる悪化を防止できていた側面も存する上,ヘモグロビン値が5.0の状態であっても通常の社会生活を送っている人もおり,その許容値には個人差があり相対的なものであること,Bも術後とはいえ,当時の意識は清明で,会話も可能な状態にあり,尿量も十分に確保されているなど症状が比較的安定していたことが認められるのであり,このような事情に照らすならば,上記の時点においては,緊急の大量輸血をしなければならないような強い医学的徴候は存在しなかったとみるのが相当である。
また,前記確定事実とE意見書によれば,輸血も移植の一つと考える医師が増加しており,輸血による合併症も問題視されていることが認められることに加えて,B自身が輸血に消極的であったことも考えると,輸血量をできるだけ少なくする合理的な理由も存在したといえるのであるから,4月30日及び5月1日の時点において,Y が,各当日の800mlずつの輸血に加 1えて更に800ml以上ずつの輸血の必要性を認識しなければならなかった特段の事情はなく,追加輸血の選択は,医師の合理的裁量の範囲内であったというべきである。
したがって,Y がBに対し十分な量の輸血をしなかったことに注意義務違反1があったとはいえない。
さらに,Y が,4月28日から5月1日までの間に,Bの出血の部位が胃潰瘍1であることを強く疑うことは困難であり,Bが胃の内視鏡検査に強いおう吐反応があり,同検査によってショックの誘発などの事態もあり得ることをも考えると,上記時点で胃の内視鏡検査を実施するかどうかは医師の裁量の範囲内であり,これをしなかったことに過失があったとはいえない。
(2)Bは,5月2日の早朝に胃潰瘍の悪化に伴う消化管からの突然の大出血があったものと推認することができる。
そして,上記大出血という緊急事態がBを襲わなければ,死亡という結果を回避できたと考えられる反面,仮に,4月30日と5月1日の輸血量を更に800mlずつ追加したとしても,上記大出血があれば,心肺停止の回避は困難であったがい然性が高かったものと認められる。
4しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。
その理由は,次のとおりである。
(1)原審は,前記確定事実及びE意見書に基づいて上記判断をしているが,記録によれば,E意見書は,原審の第1回口頭弁論期日において初めて被上告人らから提出されたものであり,第1審ではE意見書とは意見の異なるG(H病院顧問,元I大学医学部及びJ大学医学部講師。
以下「G講師」という。)作成の鑑定意見書(甲B22号証。
以下「G意見書」という。)が上告人らから提出されていたところ,第1審は,前記確定事実とほぼ同一の事実認定の下で,G意見書に基づき,Y としては,4月30日には800mlの輸血をしたにもかかわらず,5月1日に1ヘモグロビン値やヘマトクリット値の数値は改善されなかったのであるから,遅くとも5月1日の段階では,ヘモグロビン値を目標とした7まで上昇させようとすれば,800mlの輸血では不十分で,更に800mlの輸血をする必要があったといわなければならないのに,十分な量の輸血をしなかった過失があるとして,原審とは異なる判断をしたものであることが明らかである。
(2)アまず,Y にBのショック状態による重篤化を防止する義務違反があった1か否かに関して,E意見書は,「実際の臨床においては,Hb値が5.0の状態でも,通常の生活を送ることは可能で,息切れがするという程度の主訴で患者が来院することはよく経験される。
例えば,内痔核による下血や,子宮筋腫などの場合で,このような場合は,原因をつきとめ,止血し,鉄剤を投与することで,通常の状態に回復させることが可能である。
外傷性の肝損傷の患者が来院した場合,あっという間に腹腔内に出血を起こすような場合,出血量に見合った量を緊急的に輸血しなければ,生命は維持出来ないが,本症例のような出血の場合は,緊急輸血の必要性は,なかったと思われる。
」,「輸血を開始する前日,貧血は進行し,若干の血圧の変動も認められたが,その後,血圧は正常に保たれており,意識も清明,尿量も充分,確保されていることから,亡くなる当日まで,循環動態を含め,全身的な状態は,ほぼ,良好に保たれていたであろうと考えられ,出血量に相当する800mlの輸血量は必要かつ充分であり,妥当なものであったと考える。
」として,輸血を追加する必要性を否定している。
イこれに対して,G意見書は,「赤血球数,ヘモグロビン値及びヘマトクリット値が4月29日に急激に下がったこと,同日午後3時の血圧も94/72に下降し,頻脈も出現していること,看護記録には,同日午後2時の欄に粘血便5回ありとの記載があり,同日午後4時30分の欄にはタール便にて多量にありとの記載があることなどからすれば,同日午後4時30分の時点では迷うことなく上部消化管出血の可能性を考え,緊急内視鏡検査で出血源の検索と止血術を行い,出血性ショックに備えるべきであった。
」,「4月29日から30日にかけての赤血球数,ヘモグロビン値及びヘマトクリット値の下降は極めて急激で,大量の消化管出血が生じていることは明らかであり,4月30日のヘモグロビン濃度約5.2g/dlを10g/dlまで上げるには,400t由来のMAP約4本を半日以内に輸血する必要があった。
」などと指摘している。
ウ前記確定事実によれば,@Bは,4月29日には粘血便が10回あり,そのうち午後4時30分以降はタール便となり,出血量は1000〜1500mlと推定されること,4月30日の下血量は約1000gであったこと,5月1日にはタール便や暗赤色便となる下血が14回あり,下血量は約1100gであったことなどからして,4月29日から5月1日にかけての下血,血便の量が相当多量になっていたこと,A術後におけるBのヘモグロビン値やヘマトクリット値の推移を見ると,4月24日に上行結腸の手術を受けて1週間も経ない4月30日に,ヘモグロビン値が5g/dl台に,ヘマトクリット値が13〜15%台にそれぞれ参考基準値をかなり下回る値にまで急に下降していること,BBには4月29日から同月30日にかけて頻脈が見られ,ショック指数も1.0を超えることが少なくなかったこと等の事実が認められ,これらの事実は,4月30日及び5月1日の各日において,Bがそれまでの出血傾向によりその循環血液量に顕著な不足を来す状態に陥り,その状態が継続したこと,そのためBに対し各日の800mlずつの輸血に加えて更に輸血を追加する必要性があったことをうかがわせるものである。
そして,E意見書が挙げる子宮筋腫などによる貧血の場合と本件のBのように術後の出血により急に循環血液量が減少した場合とを同列に扱うことができるのか疑問であり,前記2(3)の医学的知見によれば,後者の場合の方が,生体組織の酸素代謝に障害が起き,出血性ショックを起こしやすいとも考えられる。
E意見書の中にも,「術後の患者では一般的には,Hb値が7.0を切った場合,輸血を考慮する。
この理由は,これ以下の値の場合,組織の酸素代謝に障害が起きることが,考えられるためである。
」との記載がある。
E意見書は,Bについて,亡くなる当日まで血圧が正常に保たれ,意識も清明であり,尿量も十分確保されていたことを根拠として,循環動態を含め,全身状態がほぼ良好に保たれていたとしているが,上記Bの出血量や下血量,ヘモグロビン値やヘマトクリット値の推移,ショック指数の動向に照らせば,Bの全身状態が良好に保たれていたとの意見をそのまま採用することはできない。
なお,E意見書は,「近年,輸血も移植の一つであると考える医師が増加している。
輸血による合併症が重大視されており,可能な限り,輸血を避けるというのが,現在の医療界での主流である。
被告は,Hb値が7.0を切った時点で家族に対して,輸血の申し入れをしているが,拒否されている。
輸血の危険性が一般人にも喧伝されていたためであろう。
」として,輸血に合併症の危険があることが輸血を追加しないことを正当化する根拠としているが,本件において,Bが輸血の追加を必要とする状態にあったとすれば,E意見書の上記一般論は,Y にBのショッ1ク状態による重篤化を防止すべき義務違反があったか否かの結論を左右するものではない。
エ原審は,Y において,4月28日から5月1日までの間にBの出血の部位1が胃潰瘍であることを強く疑うことは困難であり,上記時点で胃の内視鏡検査を実施するかどうかは医師の裁量の範囲内であり,これをしなかったことに過失があったとはいえないとしているが,G意見書が指摘するとおり,看護記録には,既に4月29日午前9時30分の欄に「便暗赤色にて」,午後4時30分の欄には「タール便にて多量にあり」と記載されているのであるから,Y としては,この段階1でBの上部消化管出血を疑うべきであり,内視鏡検査を実施するかどうかが医師の裁量の範囲内にあったとはいい難く,Y は,緊急内視鏡検査で出血源の検索と止1血術を行うべきであったとするG意見書の意見は,合理性を有するものであることを否定できない。
オそうすると,4月29日以降のBの状態や前記2(3)の医学的知見から判断して,原審は,Y において,Bに対し輸血を追加すべき注意義務違反があること 1をうかがわせる事情について評価を誤ったものである上,G意見書の上記イの意見が相当の合理性を有することを否定できないものであり,むしろ,E意見書の上記アの意見の方に疑問があると思われるにもかかわらず,G意見書とE意見書の各内容を十分に比較検討する手続を執ることなく,E意見書を主たる根拠として直ちに,Bのショック状態による重篤化を防止する義務があったとはいえないとしたものではないかと考えられる。
このことは,原審が,第1回口頭弁論期日に口頭弁論を終結しており,本件の争点に関係するG意見書とE意見書の意見の相違点について上告人らにG講師の反論の意見書を提出する機会を与えるようなこともしていないことが記録により明らかであること,原審の判示中にG意見書について触れた部分が全く見当たらないことからもうかがわれる。
このような原審の判断は,採証法則に違反するものといわざるを得ない。
(3)ア次に,Y の行為とBの死亡との相当因果関係の有無に関して,E意見書 1は,「5月2日の早朝,突然の消化管からの大出血については,まったく予測不能であり,地裁判決のとおり,1600mlの輸血が,行われたと仮定しても,このような,大出血の場合,心肺停止は防ぐことが出来なかったと考える。
」として,上記因果関係を否定している。
イこれに対し,G意見書は,「出血源の明確な同定が出来ていないとはいえ,消化管内のいずれかの場所から出血していることは間違いなく,4月29日には,vital signからもプレショック状態と判断できるはずであった。
それにもかかわらず輸血の開始時期が遅く(4月30日午前8時50分になって初めて輸血開始),しかも輸血量が少ない(中略)など,出血に対する治療が,きわめて不十分であった。
」,「輸血とともに重要なことは,出血源の検索である。
主治医は当初,大腸の吻合部からの出血と考え,まずCT検査や超音波検査などをおこなっているがその所見から腹腔内への出血は否定された。
その結果,下血の原因が「吻合部からの腸管内への出血」との考えにこだわり,対応が遅れてしまったと考えられる。
(中略)4月29日に出血源に対する究明がなされ,迅速な対応がなされていれば,本件の患者の救命の可能性は高かったであろう。
まず,中心静脈圧を測定しつつ,ショックを起こさないだけの充分な輸血・輸液を行い,迅速なショック対策を講じると同時に,緊急内視鏡検査を行って急性胃潰瘍からの出血が確認されれば,露出血管のクリッピング,エタノールの局所注入,(中略)などの方法によって,出血をコントロールしえた可能性がある。
急性出血性胃潰瘍に対する緊急内視鏡検査と内視鏡的止血術により殆どの患者は救命しうると考えられ,上記のようなさまざまな方法の組合せにより止血の確実性も増している。
(中略)もし,内視鏡的な止血術が不成功に終わった場合は,ただちに開腹術を行い,出血部位を確認して,胃切除などの観血的な治療を行えば,患者の救命は可能であったと考えられる。
」としている。
ウ前記確定事実によれば,Bは,5月2日早朝に初めて多量の出血があったのではなく,4月29日から既に出血傾向にあったのであるから,5月2日早朝までに輸血を追加して,Bの全身状態を少しでも改善しながら,その出血原因への対応手段を執っていれば,Bがショック状態になることはなく,死亡の事態は避けられたとみる余地が十分にあると考えられ,G意見書の上記イの意見は,相当の合理性を有することを否定できないのであり,むしろ,E意見書の上記アの意見の方に疑問があるというべきである。
それにもかかわらず,原審は,G意見書とE意見書の各内容を十分に比較検討する手続を執ることなく,E意見書の上記アの意見をそのまま採用して,上記因果関係を否定したものではないかと考えられる。
このような原審の判断は,採証法則に違反するものといわざるを得ない。
5以上のとおり,Y にはBのショック状態による重篤化を防止する義務に違1反した過失はないとするとともに,Y の行為と結果との因果関係も否定した原審 1の判断には採証法則に反する違法があり,この違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。
これと同旨をいう論旨は理由があり,原判決は破棄を免れない。
そこで,Y の上記過失の有無,Y の行為とBの死亡との間の因果関係の有無等について,更に必要な審理を尽くさせるため,本件を原審に差し戻すこととする。
よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官藤田宙靖裁判官上田豊三裁判官堀籠幸男裁判官那須弘平)

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