法律学研究支援室

事件番号 平成17(受)1612
事件名 損害賠償請求事件
裁判年月日 平成18年10月27日
法廷名 最高裁判所第二小法廷
裁判種別 判決
結果 その他
判例集巻・号・頁
原審裁判所名 東京高等裁判所??
原審事件番号 平成14(ネ)4300
原審裁判年月日 平成17年05月25日
判示事項
裁判要旨 未破裂脳動脈りゅうの存在が確認された患者がコイルそく栓術を受けたところ,術中にコイルがりゅう外に逸脱するなどして脳こうそくが生じ,死亡した場合において,担当医師に説明義務違反がないとした原審の判断に違法があるとされた事例
参照法条
全文

主文

1 原判決のうち説明義務違反を理由とする損害賠償請求に関する部分を破棄する。
2 前項の部分につき,本件を東京高等裁判所に差し戻す。
3 上告人らのその余の上告を棄却する。
4 前項に関する上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人大塚泰伸,同川口均の上告受理申立て理由第2について
1 本件は,左内けい動脈分岐部に未破裂脳動脈りゅうの存在が確認されたA(以下「A」という。)が,被上告人の設置する防衛医科大学校病院(以下「本件病院」という。)においてコイルそく栓術(動脈りゅう内にカテーテルでコイルを挿入して留置し,りゅう内をそく栓する術式)を受けたところ,術中にコイルがりゅう外に逸脱するなどして,脳こうそくが生じ,死亡したことから,Aの相続人である上告人らが,本件病院の担当医師らには,コイルそく栓術の手技等についての過失があり,また,説明義務違反もあったと主張して,被上告人に対し,不法行為に基づく損害賠償を請求する事案である。
2 原審の確定した事実関係の概要等は,次のとおりである。
(1) 大学教授であったAは,平成7年11月10日,講義中に意識障害を起こし,B病院において一過性脳動脈虚血発作の可能性を指摘された。
(2) Aは,平成7年11月下旬ころ,B病院において頭部の造影CT検査を受けたところ,左内けい動脈分岐部付近に動脈りゅうが存在することが疑われ,本件病院の脳神経外科を紹介された。
(3) Aは,平成7年12月7日以降,本件病院の脳神経外科を受診し,同月18日,造影3次元CT検査を受けた。
同科のC医師は,同月22日,A及びその妻である上告人X (以下「上告人X」という。)に,上記検査の画像の所見から,11左内けい動脈分岐部に動脈りゅうが存在することがほぼ確実になったと告げ,@動脈りゅうの治療をするためには脳血管撮影を行う必要があること,A現時点で治療を全く希望しないのであれば,脳血管撮影を行う必要がないこと,B脳血管撮影ではカテーテルを動脈内にはわせるので,低い確率ではあるが,脳血栓等の合併症があり得ることなどを説明した。
Aが脳血管撮影を受けることを希望したことから,平成8年1月19日に脳血管撮影が行われたところ,Aの左内けい動脈分岐部に上向きに動脈りゅう(同年2月28日の測定によると最大径が約7.9oであった。)が存在することが確認された。
Aに確認された未破裂脳動脈りゅうは,無症状性のものであったところ,このような動脈りゅうに対しては,保存的に経過を見るという選択肢と治療をするという選択肢があり,また,治療をするという場合には,開頭手術(開頭して動脈りゅうのけい部を永久的にクリップして閉じ,りゅうに血液が流入しないようにする術式)という選択肢とコイルそく栓術という選択肢があったが,いずれの選択肢も当時の医療水準にかなうものであった。
(4) C医師は,平成8年1月26日,A及び上告人X に,脳血管撮影の所見を1説明した上で,@脳動脈りゅうは,放置しておいても6割は破裂しないので,治療をしなくても生活を続けることはできるが,4割は今後20年の間に破裂するおそれがあること,A治療するとすれば,開頭手術とコイルそく栓術の2通りの方法があること,B開頭手術では95%が完治するが,5%は後遺症の残る可能性があること,Cコイルそく栓術では,後になってコイルが患部から出てきて脳こうそくを起こす可能性があることを説明した。
また,C医師は,同日,Aらに,治療を受けずに保存的に経過を見ること,開頭手術による治療を受けること,コイルそく栓術による治療を受けることのいずれを選ぶかは,患者本人次第であり,治療を受けるとしても今すぐでなくて何年か後でもよい旨を告げたところ,Aが同年2月23日C医師に開頭手術を希望する旨を伝えたことから,同月29日に本件病院でAの動脈りゅうについて開頭手術が実施されることとなった。
(5) 本件病院に勤務していたD教授は,Aの動脈りゅうについては,開頭手術が相当であると考え,C医師に同手術の実施を指示していたが,平成8年2月27日の手術前のカンファレンスにおいて,脳血管撮影の所見をよく検討した結果,内けい動脈そのものが立ち上がっており,動脈りゅう体部が脳の中に埋没するように存在しているため,恐らく動脈りゅう体部の背部は確認できないので,貫通動脈や前脈絡叢動脈をクリップにより閉そくしてしまう可能性があり,開頭手術はかなり困難であるとして,破裂例であれば開頭手術が第1選択でもよいかもしれないが,未破裂例なのでまずコイルそく栓術を試してみてもよいのではないか,コイルそく栓術がうまくいかないときは再度本人及び家族と話をして,術後の神経学的機能障害について十分納得を得られるのであれば開頭手術を行ってもよいかもしれないと提案した。
これを受けて,本件病院の放射線科のE医師が,Aの動脈りゅうの口径はかなり広いけれども,動脈りゅう体部にある程度丸い形があるので,挿入するコイルが落ち込むことはないと思われる,同月28日に動脈りゅう造影を行い,コイルの挿入が可能であると判断できればコイルそく栓術を実施する旨の発言をしたことから,手術前のカンファレンスの結論として,Aの動脈りゅうについては,まずコイルそく栓術を試し,うまくいかないときは開頭手術を実施するという方針が決まった。
なお,上記のとおり開頭手術が困難である場合に,まずコイルそく栓術を試すということは,当時の医療水準にかなうものであった。
(6) C医師とE医師は,平成8年2月27日の上記カンファレンスの終了後,A及び上告人X に,Aの動脈りゅうが開頭手術をするのが困難な場所に位置して1おり開頭手術は危険なので,コイルそく栓術を試してみようとの話がカンファレンスであったことを告げ,開頭しないで済むという大きな利点があるとして,コイルそく栓術を勧めた。
E医師は,これまでコイルそく栓術を十数例実施しているが,すべて成功していると説明した。
Aが,「以前,後になってコイルが出てきて脳こうそくを起こすおそれがあると話しておられたが,いかがなのでしょうか。
」と質問したところ,E医師は,うまくいかないときは無理をせず,直ちにコイルを回収してまた新たに方法を考える旨を答えた。
同日のC医師らの説明は,30〜40分程度であった。
C医師らは,この時までに,Aらに,コイルそく栓術には術中を含め脳こうそく等の合併症の危険があり,合併症により死に至る頻度が2〜3%とされていることについての説明も行った上で,同日夕方には,Aらから,同月28日にコイルそく栓術を実施することの承諾を得た。
(7) 平成8年2月28日,動脈りゅう造影が行われ,Aにはコイルそく栓術の実施が可能であると判断されたことから,E医師は,午前11時50分ころ,カテーテルによりコイルの動脈りゅう内への挿入を開始した。
しかし,正午ころには,動脈りゅう内に挿入したコイルの一部が,りゅう外に逸脱してりゅうをそく栓することができず,内けい動脈内に移動して中大脳動脈及び前大脳動脈をそく栓する危険が生じたことから,E医師は,コイルそく栓術を中止し,コイルの回収作業をすることとし,リトリーバー(コイルを回収するための器具)を用いるなどして,午後3時10分ころまで,コイルの回収を試みたものの,動脈りゅう内のコイルに結び目が形成されたために,コイルの回収はできなかった。
そこで,脳神経外科のC医師らは,午後4時5分ころから,全身麻酔を行った上で開頭手術を実施し,動脈りゅう内に在ったコイルについては,午後9時25分ころ除去することができたものの,内けい動脈内に移動したコイルの一部については,内けい動脈を切り裂くおそれがあったために,除去することができなかった。
(8) Aは,上記開頭手術終了後も,意識が回復することはなく,動脈りゅう内から逸脱したコイルによって生じた左中大脳動脈の血流障害に起因する脳こうそくにより,平成8年3月1日には脳死状態となり,同月13日死亡した。
3 上記事実関係の下において,原審は,本件病院の担当医師らに,コイルそく栓術の手技等についての過失があったとはいえないとして,同過失を理由とする損害賠償請求について棄却すべきものとした上で,上記医師らは,動脈りゅうの危険性,Aが採り得る選択肢の内容,それぞれの選択肢の利点と危険性,危険性については起こり得る主な合併症の内容及び発生頻度並びに合併症による死亡の可能性をAに説明したということができ,上記医師らに説明義務違反は認められないとして,上告人らの説明義務違反を理由とする損害賠償請求についても棄却すべきものとした。
4 しかしながら,原審の上記判断のうち説明義務違反を理由とする損害賠償請求に関する部分は是認することができない。
その理由は,次のとおりである。
(1) 医師は,患者の疾患の治療のために手術を実施するに当たっては,診療契約に基づき,特別の事情のない限り,患者に対し,当該疾患の診断(病名と病状),実施予定の手術の内容,手術に付随する危険性,他に選択可能な治療方法があれば,その内容と利害得失,予後などについて説明すべき義務があり,また,医療水準として確立した療法(術式)が複数存在する場合には,患者がそのいずれを選択するかにつき熟慮の上判断することができるような仕方で,それぞれの療法(術式)の違いや利害得失を分かりやすく説明することが求められると解される(最高裁平成10年(オ)第576号同13年11月27日第三小法廷判決・民集55巻6号1154頁参照)。
そして,医師が患者に予防的な療法(術式)を実施するに当たって,医療水準として確立した療法(術式)が複数存在する場合には,その中のある療法(術式)を受けるという選択肢と共に,いずれの療法(術式)も受けずに保存的に経過を見るという選択肢も存在し,そのいずれを選択するかは,患者自身の生き方や生活の質にもかかわるものでもあるし,また,上記選択をするための時間的な余裕もあることから,患者がいずれの選択肢を選択するかにつき熟慮の上判断することができるように,医師は各療法(術式)の違いや経過観察も含めた各選択肢の利害得失について分かりやすく説明することが求められるものというべきである。
(2)ア 前記事実関係によれば,Aの動脈りゅうの治療は,予防的な療法(術式)であったところ,医療水準として確立していた療法(術式)としては,当時,開頭手術とコイルそく栓術という2通りの療法(術式)が存在していたというのであり,コイルそく栓術については,当時まだ新しい治療手段であったとの鑑定人Fの指摘がある。
イ 記録によれば,本件病院の担当医師らは,開頭手術では,治療中に神経等を損傷する可能性があるが,治療中に動脈りゅうが破裂した場合にはコイルそく栓術の場合よりも対処がしやすいのに対して,コイルそく栓術では,身体に加わる侵襲が少なく,開頭手術のように治療中に神経等を損傷する可能性も少ないが,動脈のそく栓が生じて脳こうそくを発生させる場合があるほか,動脈りゅうが破裂した場合には救命が困難であるという問題もあり,このような場合にはいずれにせよ開頭手術が必要になるという知見を有していたことがうかがわれ,また,そのような知見は,開頭手術やコイルそく栓術を実施していた本件病院の担当医師らが当然に有すべき知見であったというべきであるから,同医師らは,Aに対して,少なくとも上記各知見について分かりやすく説明する義務があったというべきである。
ウ また,前記事実関係によれば,Aが平成8年2月23日に開頭手術を選択した後の同月27日の手術前のカンファレンスにおいて,内けい動脈そのものが立ち上がっており,動脈りゅう体部が脳の中に埋没するように存在しているため,恐らく動脈りゅう体部の背部は確認できないので,貫通動脈や前脈絡叢動脈をクリップにより閉そくしてしまう可能性があり,開頭手術はかなり困難であることが新たに判明したというのであるから,本件病院の担当医師らは,Aがこの点をも踏まえて開頭手術の危険性とコイルそく栓術の危険性を比較検討できるように,Aに対して,上記のとおりカンファレンスで判明した開頭手術に伴う問題点について具体的に説明する義務があったというべきである。
エ 以上からすれば,本件病院の担当医師らは,Aに対し,上記イ及びウの説明をした上で,開頭手術とコイルそく栓術のいずれを選択するのか,いずれの手術も受けずに保存的に経過を見ることとするのかを熟慮する機会を改めて与える必要があったというべきである。
オ そうすると,本件病院の担当医師らは,Aに対し,前記2(4)及び(6)の説明内容のような説明をしたというだけでは説明義務を尽くしたということはできず,同医師らの説明義務違反の有無は,上記イ及びウの説明をしたか否か,上記エの機会を与えたか否か,仮に機会を与えなかったとすれば,それを正当化する特段の事情が有るか否かによって判断されることになるというべきである。
しかるに,原審は,上記の各点について確定することなく,前記2(4)及び(6)の説明内容のような説明をしただけで,開頭手術が予定されていた日の前々日のカンファレンスの結果に基づき,カンファレンスの翌日にコイルそく栓術を実施した本件病院の担当医師らに説明義務違反がないと判断したものであり,この判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。
論旨は,上記の趣旨をいうものとして理由がある。
(3) 以上によれば,原判決のうち説明義務違反を理由とする損害賠償請求に関する部分は破棄を免れない。
そこで,以上の説示に従って上記部分について更に審理を尽くさせるため,本件を原審に差し戻すこととする。
なお,その余の請求に関する上告については,上告受理申立ての理由が上告受理の決定において排除されたので,棄却することとする。
よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 滝井繁男 裁判官 津野 修 裁判官 今井 功 裁判官中川了滋 裁判官 古田佑紀)

特に指定がないものは、最高裁判所判決です。
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