法律学研究支援室

判例 平成17年09月08日 第一小法廷判決 平成14年(受)第989号 損害賠償請求事件

要旨:

 帝王切開術を強く希望していた夫婦に経膣分娩を勧めた医師の説明が,同夫婦に対して経膣分娩の場合の危険性を理解した上で経膣分娩を受け入れるか否かについて判断する機会を与えるべき義務を尽くしたものとはいえないとされた事例

内容:  件名 損害賠償請求事件 (最高裁判所 平成14年(受)第989号 平成17年09月08日 第一小法廷判決 破棄差戻し)
 原審 東京高等裁判所 (平成13年(ネ)第4138号、5087号)

主    文

原判決を破棄する。
本件を東京高等裁判所に差し戻す。

理    由

 上告代理人赤松岳の上告受理申立て理由第1について

 1 原審の確定した事実関係の概要等は,次のとおりである。

 (1) 上告人らは夫婦であるところ,妻の上告人X2(出産時31歳)は,平成5年8月31日,B病院(以下「本件病院」という。)を受診し,初めての妊娠が確認され,出産予定日を平成6年5月1日と診断され,その後も,通院を続けて本件病院の医師である被上告人Y1(以下「被上告人医師」という。)の診察,検査を受けていたが,平成6年2月9日,胎位が,頭部を子宮底に,臀部を子宮口に向けた状態(以下「骨盤位」という。)であることが判明した。

 (2) 被上告人医師は,同年4月13日(妊娠37週3日)の診察時に,内診やレントゲン撮影の結果などから,分娩時には臀部が先進して産道を降下する状態(以下「殿位」という。)となり,母体の骨盤の形状や大きさからして児頭骨盤不均衡などの経膣分娩を困難とする要因もなく,経膣分娩が可能であると判断して,上告人X2に対し,経膣分娩に問題はないと説明し,経膣分娩によるとの方針を伝えた。

 (3) 上告人らは,骨盤位であるのに経膣分娩をすることに不安を抱き,同月14日,被上告人医師に対し,帝王切開術によって分娩をしたいとの希望を伝え,さらに,上告人X2は,同月20日の検診時にもその旨の希望を述べた。これに対し,被上告人医師は,上告人ら又は上告人X2に対し,上記(2)のとおりの状況に照らして経膣分娩が可能であること,もし分娩中に問題が生じればすぐに帝王切開術に移行することができること,帝王切開術をした場合には,手術部がうまく接合しないことがあることや,次回の出産で子宮破裂を起こす危険性があることなどを説明し,更に家族で話し合うよう指示した。

 (4) 上告人X2は,同月27日の検診時にも帝王切開術による分娩の希望を伝えたが,被上告人医師は,どんな場合にも帝王切開術に移ることができるから心配はない旨説明した。

 また,被上告人医師は,同日,超音波断層法を用いた測定により,胎児の体重を3057gと推定し,内診の結果とも併せ,分娩時には殿位となるものと判断した。そして,被上告人医師は,同日以降は胎児の推定体重の測定をしなかった。

 (5) 上告人らは,同月28日,本件病院において,上告人X2の入院の手続をした。そして,被上告人医師は,上告人らに対し,骨盤位の場合の経膣分娩の経過や帝王切開術の場合の危険性等のほか,骨盤位の場合,前期破水をすると胎児と産道との間を通して臍帯脱出を起こすことがあり,早期に対処しないと胎児に危険が及ぶことがあること,その場合は帝王切開術に移行することなどについて,経膣分娩を勧める口調で説明した。その際,上告人X2は,逆子は臍帯がひっかかると聞いているので帝王切開術をお願いしたいと申し入れたが,被上告人医師は,「この条件で産めなければ頭からでも産めない。もし産道で詰まったとしても,口に手を入れてあごを引っ張ればすぐに出る。もし分娩中に何か起こったらすぐにでも帝王切開に移れるのだから心配はない。」と答えた。これに対し,夫の上告人X1は,「それでも心配ですので遠慮せずにどんどん切って下さい。」と言い,あらかじめ手術承諾書を書いておくとも言ったが,被上告人医師は,心配のしすぎであるとして,取り合わなかった。

 (6) 被上告人医師は,出産予定日を経過した平成6年5月9日(妊娠41週1日),内診の結果から子宮口が1指大に開大するなど成熟の徴候が認められたことから,上告人X2に対し,同月11日から分娩誘発を行うことを説明した。その際,上告人X2は,子供が大きくなっていると思うので下から産む自信がなく,帝王切開術にしてもらいたい旨述べたが,被上告人医師は,予定日以降は胎児はそんなに育たない旨答えた。

 (7) 被上告人医師は,同月11日午後3時20分ころ,子宮口を広げて分娩を誘発するための器具であるバルンブジーを上告人X2の子宮口に挿入し,午後7時20分ころ,分娩監視装置による胎児心拍数の測定を開始した。

 (8) 上告人X2は,同月12日午前6時から午前8時まで,1時間おきに陣痛促進剤を1錠ずつ服用した。被上告人医師は,午前8時ころ,上告人X2を内診し,胎児の臀部とかかとの部分が触れたことから,当初の診断と異なり,分娩時には,両下肢のひざが屈し,両側のかかとが臀部に接して先進する状態(複殿位)となると判断したが,子宮頸部が軟らかくなっていることなどから,このまま経膣分娩をさせることとし,陣痛促進剤の点滴投与を始めた。そして,午後1時18分ころには,陣痛がほぼ2分間隔で発現するようになり,午後3時3分ころには,胎胞が膣外まで出てくる胎胞排臨の状態となったが,卵膜が強じんで自然に破膜しなかった。このため,被上告人医師は,分娩が遷延するのを避ける目的で人工破膜を施行したところ,破水後に臍帯の膣内脱出が起こり,胎児の心拍数が急激に低下した。被上告人医師は,臍帯を子宮内に還納しようとしたが奏功せず,午後3時7分ころ,骨盤位牽出術を開始した。

 (9) 本件病院では,経膣分娩の経過中に帝王切開術に移行することのできる体制となっていたが,被上告人医師は,破水後に帝王切開術に移行しても,胎児の娩出まで少なくとも15分程度の時間を要し,経膣分娩を続行させるよりも予後が悪いと判断して骨盤位牽出術を続行し,同日午後3時9分ころ,重度の仮死状態で上告人らの長男Aが出生した。Aは,待機していた小児科医によって蘇生措置を受けたが,午後7時24分に死亡した。

 なお,Aの死亡時の体重は3812gであり,蘇生措置中,Aに対する輸液等の投与量は合計91.664mlで,体外排出量は1mlの採血のほか若干量のみであったことなどから,Aの出生時の体重は,多くても約3730g程度と推認される。

 (10) 骨盤位の場合の経膣分娩は,児頭が先進する状態(頭位)の場合と比べ,前期又は早期破水の頻度が高く,先進部が,児頭に比べて小さく軟らかで,球形ではないため,軟産道開大に時間を要し,遷延分娩となりやすい上,臍帯下垂や前期又は早期破水に伴う臍帯脱出を起こしやすいこと,分娩経過中,臍帯が体や四肢の間で圧迫される頻度が高く,また,娩出間際では児頭と骨盤の間で臍帯が圧迫されて血流が遮断される時期があるため,短時間で娩出しないと新生児仮死の可能性が高くなることなどの危険性が指摘されている。

 他方,帝王切開術については,麻酔を使用した上で母体を切開する外科的侵襲であることに伴う危険性がある等の問題があるため,骨盤位の場合にすべて帝王切開術を行うべきものとする考え方は一般的ではなく,経膣分娩によるか帝王切開術を行うかの選択については,胎児の推定体重,胎位,母体の骨盤の形状,妊娠週数,妊婦の年齢などの諸要素を総合的に考慮して判断するのが一般的である。具体的には,胎児の推定体重が3800g以上のときや,胎位が,分娩に際し下肢が下方に伸展して先進する状態(足位)のときなどには帝王切開術を行うべきものとされる(胎児の推定体重については,3500g以上のときには帝王切開術を行うべきものとする見解もある。)。そして,経膣分娩の経過中に母体又は胎児に危険が生じ,直ちに胎児を娩出させなければならないときは,帝王切開術等の急速遂娩術が行われるが,経膣分娩から帝王切開術への移行は,消毒や麻酔等に一定の時間を要することなどから,移行が相当とはいえない場合もある。

 2 本件は,上告人らが,共同で,本件病院の設置者であった国との間で,助産を委託する契約等を締結したことを前提に,上告人らにおいて,胎児が骨盤位であることなどから帝王切開術による分娩を強く希望する旨を被上告人医師に伝えていたにもかかわらず,被上告人医師が骨盤位の場合の経膣分娩の危険性や帝王切開術との利害得失について十分説明しなかったため,上告人らが分娩方法について十分に検討した上で意思決定をする権利が奪われた結果,帝王切開術による分娩の機会を失し,Aが死亡したなどと主張して,被上告人医師に対し不法行為による損害賠償請求権に基づき,国の権利,義務を承継した被上告人独立行政法人国立病院機構に対し債務不履行又は不法行為(使用者責任)による損害賠償請求権に基づき,損害賠償を求める事案である。

 3 原審は,次のとおり判断するなどして,上告人らの請求を棄却した。

 被上告人医師は,上告人X2や胎児の状態等から経膣分娩が可能であり,かつ,適当であると判断し,帝王切開術を希望する上告人らに対して経膣分娩の方針を説明したものであり,被上告人医師の上告人らに対する説明内容は,経膣分娩の優位性を強調する面のあったことがうかがわれるものの,経膣分娩の場合の危険性や対応方法などについての説明も加えられていることや,上告人X2が既に骨盤位の場合の分娩に関する一応の知識を有していることに照らし,相当かつ十分なものであった。したがって,被上告人医師は,求められる説明義務を尽くしており,上告人らにおいて,帝王切開術の希望を抱きながら被上告人医師の説得に応じたとしても,自ら自由に意思決定をする権利を侵害されたものとはいえない。

 4 しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。

 前記の事実関係等によれば,次のことが明らかである。(1) 上告人らは,胎児が骨盤位であることなどから経膣分娩に不安を抱き,被上告人医師に対し,再三にわたり,帝王切開術を強く希望する旨を伝えていた。(2) これに対し,被上告人医師は,上告人らに対し,経膣分娩の危険性について一応の説明をしたものの,出産予定日を経過し子供が大きくなっていると思うので下から産む自信がない旨述べた上告人X2に対して予定日以降は胎児はそんなに育たない旨答えたのみで,骨盤位の場合における分娩方法の選択に当たっての重要な判断要素となる胎児の推定体重や胎位等について具体的な説明をせず,かえって,分娩中に何か起こったらすぐにでも帝王切開術に移行することができるから心配ないなどと極めて断定的な説明に終始し,経膣分娩を勧めた。(3) 上告人らは,帝王切開術についての強い希望を有しながらも,被上告人医師の上記説明により,仮に分娩中に問題が発生した場合にはすぐに帝王切開術に移行されて胎児が安全に娩出され得るものと考え,被上告人医師の下での経膣分娩を受け入れた。(4) しかし,実際には,本件病院では,帝王切開術に移行するには一定の時間を要することから,経膣分娩の経過中に胎児に危険が生じ,直ちに胎児を娩出させる必要がある場合において,帝王切開術への移行が相当ではないと判断される事態が生ずることがある。(5) また,出産約2週間前においては,胎児の体重は3057gと推定されたものの,超音波測定による推定体重には10〜15%程度の誤差があるとされている上,出産までの2週間で更に約200g程度は増加するとされているので,出産時の体重が3500gを超えることも予想される状況にあったが,骨盤位で胎児の体重が3500g以上の場合には帝王切開術を行うべきものとする見解もあった。しかし,被上告人医師は,平成6年4月27日を最後に,胎児の推定体重を測定しなかった。(6) さらに,被上告人医師は,同年5月12日午前8時ころの内診で,複殿位であると判断しながら,上告人らにこのことを告げず,陣痛促進剤の点滴投与を始め,同日午後3時3分ころ人工破膜を施行した。

 以上の諸点に照らすと,帝王切開術を希望するという上告人らの申出には医学的知見に照らし相応の理由があったということができるから,被上告人医師は,これに配慮し,上告人らに対し,分娩誘発を開始するまでの間に,胎児のできるだけ新しい推定体重,胎位その他の骨盤位の場合における分娩方法の選択に当たっての重要な判断要素となる事項を挙げて,経膣分娩によるとの方針が相当であるとする理由について具体的に説明するとともに,帝王切開術は移行までに一定の時間を要するから,移行することが相当でないと判断される緊急の事態も生じ得ることなどを告げ,その後,陣痛促進剤の点滴投与を始めるまでには,胎児が複殿位であることも告げて,上告人らが胎児の最新の状態を認識し,経膣分娩の場合の危険性を具体的に理解した上で,被上告人医師の下で経膣分娩を受け入れるか否かについて判断する機会を与えるべき義務があったというべきである。ところが,被上告人医師は,上告人らに対し,一般的な経膣分娩の危険性について一応の説明はしたものの,胎児の最新の状態とこれらに基づく経膣分娩の選択理由を十分に説明しなかった上,もし分娩中に何か起こったらすぐにでも帝王切開術に移れるのだから心配はないなどと異常事態が生じた場合の経膣分娩から帝王切開術への移行について誤解を与えるような説明をしたというのであるから,被上告人医師の上記説明は,上記義務を尽くしたものということはできない。

 5 以上のとおりであるから,原審の判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は,上記の趣旨をいうものとして理由があり,その余の点について判断するまでもなく原判決は破棄を免れない。そこで,更に審理を尽くさせるため,本件を原審に差し戻すこととする。

 よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 横尾和子 裁判官 甲斐中辰夫 裁判官 泉 コ治 裁判官 島田仁郎 裁判官 才口千晴)

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